水の駅へ:都市と地方をむすぶ 河川を巡る旅 東京農業大学 宮林茂幸教授講演

2018年10月25日、西新宿のLIXILショールームにて、東京農業大学地域環境科学部 地域創成科学科教授 宮林茂幸先生によるセミナーを開催した。

宮林先生と最初にお会いしたのは荒川ビジョン推進協議会の会長としてだった。

国際観光施設協会とまちふねみらい塾共催で3年前から行っている水上セミナーでは東京の水辺に観光資源を探る試みを続けていたが、ある会合で荒川ロックゲート(荒川本流と支流を隔てて推移をコントロールするための水門)が面白いので見に行こうという話になり、そこから秩父周辺で活動する荒川ビジョンの話へと話題が上流に上って行ったのである。

昨年の7月には国際観光施設協会の有志が荒川ビジョン推進協議会との交流を目的に三峯神社で一泊するツアーを行なった。その時に秩父市役所の会議室にて、協議会のメンバーである秩父市横瀬町皆野町長瀞町小鹿野町の方々と地域活性化や観光振興について意見交換会を開いた。宮林先生はそのときに議長を務めて下さった。

先生の研究テーマや様々な活動を具体的に知ることになるのはその後のことだが、まずは「行きたい道の駅」でいつも上位に挙がる「川場田園プラザ」の経営者として、そして農大が行なう人材教育プロジェクト、多摩川源流大学の事業推進責任者としての活動がある。
川場村利根川水系の上流にあり、多摩川源流大学は多摩川の水源である山梨県小菅村に拠点を置く。この二つに荒川を加えれば、関東平野に水をもたらす三つの代表的な河川の上流域と先生は繋がっていることになる。その知識と経験に触れる機会を得た訳である。

森林と水源地域の現状

このセミナーでもこれまで知る機会の無かった、しかし貴重な知見に多く触れることが出来た。冒頭では明治初期の面白いエピソードが語られた。
日本のインフラ整備に助言を求められて視察に訪れた外国人技術者たちが日本の河川の急流を見て驚き「これは滝だ」と言ったそうだ。災害防止の技術を伝道する目的で国内各地を廻ったが、自ら土地を管理する農民があまねく存在するのを見て「この農民がいる限り大きな災害は防げる」との助言を残したそうだ。これは日本の国土と国民性(或いは国体というべきか)を非常に良く捉えた評価だと思う。
しかし現在では、過疎化が進むことにより上流地域の農業や森林が危機的な状況に陥っているという。宮林先生がここで見せてくれたのは、人口減少率の全国分布図と放棄地の全国推移図だ。人口減少と過疎化が農村で進めば耕作放棄地が増えるのは容易に想像できる。現在、耕作放棄地の全国での合計はほぼ埼玉県の面積に相当するという。この耕作放棄地の分布図に深層崩壊危険個所の全国分布図を重ねると、それぞれの分布状態がかなりの部分で重なり、強い相関関係が存在することを示す。すなわち、人口減少の激しい地域ほど耕作地が放棄され荒れ果て、耕作地や森林として手入れが行き届かなくなった土地は深層崩壊の危機が進んでいくことがわかる。


意外なことに日本では、森林の面積は統計を見せていただいた1966年以降減っておらず、2500万ha=国土の67%前後を保っている。熱帯雨林地域で森林減少が問題にされるのとは対照的だ。一方で「森林の体積」は66年から増え続けている。天然林と人工林に分けて見ると、人工林が面積は微増なのに対して、体積は大きく増えている。これは天然林が若干伐採されているものの植樹はされており、その植樹した木が順調に成長していることを示している。逆にその生育した人工林を利用せずに肥満状態で放置しているために問題が大きくなってきているのだ。要は、木が伸び放題なのである。スギ花粉症の蔓延もその顕れのひとつだという。
間伐されずに放置された森林は地面への日差しが届かないため下草が育たず、土が流れやすく保水性が悪くなる。その結果樹木も不健康になり、自己防衛本能から種属維持のためにより多くの花を咲かせ、結果として花粉をまき散らすことになる。

森林を健康に保つためには間伐(適度に間引くように木を切り出す作業)が欠かせないのである。

 

国産木材をいかに使うべきか

国産木材の供給は戦後の復興で延び、1965年にピークを打ってから減少に転じた。戦後の復興に多くの木材が使われ、学校をはじめとした公共の建物が多くは木造でつくられたが、その後の高度成長期にはそれらが次々に鉄筋コンクリートに建て替えられていった。
その後も木材全体としての需要は延びていったのだが構造材としての利用は減っていき、市場は安い輸入材に取って代わられる。

木材価格の推移を見ると、1980年には価格的に輸入材に太刀打ちできなかった国産材が次第に値崩れし、2009年には輸入材よりも安くなっている。にも拘らず現在でも国産材の需要が伸びていないのは、戦前~終戦直後に比べて木材の使用方法が変わったためだという。無垢の製材ではなく集成材や合板の需要が増えるのに対応して、合板の材料を丸太からカツラ剥きのようにして薄く幅の広い材を切り出すため、太い幹をもつ輸入材のほうが加工性が良いのだ。建築設計に係わる筆者も「森林資源保全のために木を使うにもその使い方を考えねば国土のためにはならない」と思い知らされた次第である。

 

森林の効用と私たちの暮らし

森林は雨を土の中に蓄えてから少しずつ流す。そのため土砂の流出を防ぎ、災害防止に役立つ。木の実は多くの生物に栄養をもたらし、それらが動物や鳥の餌になり、その死骸は土に戻るという循環により多様な生物の共生の場となる。また、二酸化炭素を吸収蓄積して地球の温暖化も防ぐだけでなく、植物の分泌する揮発成分は殺菌作用があり、免疫力を高めて人に安らぎを与える効果も実証されている。間伐され、程良く手入れされた森林は日差しが行き届いてよりその効果が増すのである。
森林で蓄えられた水は栄養分を多く含み、そこから流れ出る河川水は近海に豊富な栄養をもたらす。日本近海での魚の種類の豊富さも、陸地における森林の豊かさに支えられているのである。河川の下流域にある都市は上流域の耕作地や森林によって育まれ守られていることがよく判る。

 

流域連携による ふるさと創生

宮林先生の活動はこうした現状の課題の把握からそれを打開する具体的な行動に及ぶ。
群馬県川場村では、40年前に東京都世田谷区に「区民の第二のふるさと」に選ばれた時から係わり、距離を超えた縁組を支えてこられた。当時の人口は世田谷区が95万人、川場村が3600人。それが縁組の数年後には交流人口が3万人になり、平成27年には世田谷区人口の倍の190万人を超えたという。

実際に行われているのは里山自然学校での茅葺塾、森林づくり塾、農業塾といった都会では経験できない「ふるさと経験」だ。川場田園プラザはその果実をまるごと楽しめる場所であり、その特徴はリピーターが多いことにある。親の世代から川場村に通い、ふるさと体験として培われた記憶が子の世代にも引き継がれ、世代に亘って交流が続いているのである。ビジネスとしての成功を支えているのは物産やサービスの魅力だけでなく、マーケットを継続的につくり出す仕組みなのだろう。
多摩川源流大学は東京農業大学の学生を多摩川源流の小菅村(人口約750人)に送り込み、源流域の自然や文化を現地に学び、農林業や地域の物産開発に実習として取り組むことで、流域の繋がりを理解する人材教育を行っている。
宮林先生はこれを「源流文化の教育力」と呼んでおり、自然との共生や文化の継承のあり方、里山の文化がどのように育まれたかを経験として学んでいくのだという。
これらの経験を踏まえて集大成のように構想を練られているのが荒川ビジョン推進協議会における活動である。持続性の高いインフラをつくるには上流域の市町村の協同だけではなく、上流から中流下流を含めた流域全体の交流が必要であり、「水の駅」はそのプラットフォームとして構想される。

最後に提言として、流域を守ることは都市を守ることであり、都市に住む人は先ず上流域を訪れ、上流域と下流域が共生していることを学び、花粉症、鳥獣害、山崩れ、遊休耕地の増加などは上流域からの異変のサインであることを知り、循環型社会を形成するために上流域に学び、遊び、暮らすことが「ふるさと創生」につながるのだ、と締めくくっていただいた。
都市に住む人間として、自らの生活の場がどのようなインフラ構造の上にあるのか、あらためて考えさせられる貴重な時間だった。