東京の水辺を巡る旅 第3弾/小名木川と深川界隈

去る2018年 7月12日、国際観光施設協会で第3回の水上セミナーを開催した。2016年夏の第1回は羽田沖から浅草に至る隅田川の幹線ルートを中心に、2017年秋の第2回は日本橋を起点に内陸河川を巡るクルーズだった。

第2回では隅田川より都心側の日本橋川神田川などの内陸河川を巡ったが、

この第3回は隅田川の東側に広がる、江東区を中心としたいわゆる「ゼロメートル地帯」を含むエリアを背の低い船で巡るツアーだった。

江東区を東西に横切る小名木川の西側河口近くに架かる高橋(たかばし)近くの防災船着場から出発し、時計回りにこの一帯の水路を巡り、隅田川に出てからもう一度北側から廻って戻るルートであった。

小名木川徳川家康小名木四郎兵衛に命じてつくった運河であることから名づけられた。南江東には全国からの木材が集積した木場があったが、この運河は現在は千葉県の行徳辺りにあった塩田からの塩を運搬する目的でつくられた。その後、江戸期を通してあらゆる農産物を運ぶ重要な動線であり続け、明治時代には水運を利用した工業の発達にも寄与したらしい。その後、地盤沈下が進み、水路は堰き止められて干上がっていた時期が長かったが、荒川ロックゲートが出来た頃から復活し、現在では低い水辺は多くの閘門によって高潮から守られている。最近はこの一帯が新しい賑わいのスポットとして脚光を浴びている。
このルートは水面と地上面が非常に近く、橋桁が低いため、船のサイズが限定され、かつ航行できる季節や時間帯まで限定されてしまう。今回は潮位の関係で朝9時集合、9時半出発、午前中にツアー完了、という健康的なスケジュールとなった。

 

 


朝の集合時間に参加者が集まり始めたとき、たまたま通りかかった犬を連れた老齢の白人女性が「これから船に乗るのか?」と尋ねてきた。「そうです」と答えると「この近くに永らく住んでいるが常々舟でこの辺りを廻りたいと思っていた。どうしたら乗れるのか?」と真面目な表情だ。「今回は満員なので無理だが、」とまちふねみらい塾の阿部理事が後日の連絡先を教えて差し上げた。この夫人の御宅をこの後、意外なかたちで知ることになる。


高橋防災船着場から出発


猛暑の夏のクルーズで屋根の無い小舟とあって熱中症の心配をしたが、幸い天気は曇りで、船が動き出すと心地よい風を感じることが出来た。想像していた通り、この辺りの水路は地面に近く、生活空間が間近に見える。人工の水路ゆえの直線的な護岸が続くが、緑越しに水の風景を楽しむ暮らしが想像される。


小名木川を東へ


小名木川を東に進んだのち途中で南に折れて門前仲町方面へ向かったのだが、そのまま東へ進むと閘門と小名木川名物のクローバー橋がある。今回は浚渫工事が盛んに行われていたため、残念ながらそこまでは行けなかった。次の機会にはそこを通って荒川ロックゲートまで行ってみたいものだ。
低い橋をくぐっていくうちに、多くの橋の橋脚が護岸から更に引っ込んだいるのに気付いた。なぜ橋のスパンが長くなるような構造にするのか?不思議に思っていたが、よく見ると護岸がほとんどコンクリートの打放しなのに橋脚の部分は石積みになっている。


護岸から引っ込んだ橋脚

 

大栄橋附近 石積みの橋脚

 

そこで判ったのは、橋脚をわざわざ引っ込めて造ったのではなく、元々はもっと幅広かった水路に橋が先に出来ていて、後から護岸が付け足されて整備されたのではなかろうか、ということである。日本では海岸沿いの漁村などでもよくあることだが、昔は船が直接持ち主の家の下のデッキに着けられたが、現在では海岸線沿いに道路と護岸が造られ、水辺と建物は道路で隔てられている。同じことがこの内陸運河でもあったのだろう。ヴェネツィアなどに見られる船着き場を持った住居が、日本ではもうほとんど見られないのは残念なことだ。
一方で、その道路沿いには桜が植えられるなどして、違った水辺の楽しみ方も生まれている。


門前仲町の水辺の桜並木


門前仲町辺りの満開の時の桜並木を想像しながら隅田川への河口に近づくと、屋形船の舟溜まりが見えてくる。ここを抜けると隅田川だ。


巽橋 屋形船の舟溜まり

 

この水上セミナーでも隅田川沿いの風景は幾度か経験したが、最近話題のシェアホテルLYUROを含め、江東エリアには水辺ならではの建物が目立つ。「あんな処に居られて羨ましい」と思わせる住居やオフィスが幾つも見られた。
シェアホテルLYURO
隅田川沿いの魅力的な水辺の住居
隅田川からもう一度江東の内陸水路、小名木川と平行に北側を走る堅川に入る。ここは上空を高速道路が塞ぐ、日本橋川と同じ現実を見せられる。ただ、実際に水運が活きていた時代でもこうした裏通り、表通りの差は水路によってあったに違いない。ここから再び小名木川に戻り、水上セミナーは終了した。


隅田川から見る堅川水門

 

上空を高速に塞がれた堅川

 

この後、まちふねみらい塾の高松・阿部両理事と有志で昼食を共にすることとなった。人気のカフェも次々に生まれているエリアである。この清澄、森下一帯でのまちづくりに関わる人達とも親交の多い両理事に案内されて流行りのカフェで昼食、その後「オシャレなレンタルバイク店がある」と案内されたのが堤防の脇に建つALOHALOCO(写真の建物)であった。この建物を見るなり、「これは船から見たあの格好いい家だ」と気付いた。

 

オシャレなカフェで昼食

 

レンタルバイクALOHALOCO

 

ここの店主とひとしきり最近の観光客の動向などの話をした後、建物のことを尋ねると、「ここは借りている」と言う。堤防で川が見えない1階を貸店舗にして、オーナーはその上に住んでいる訳である。そして「オーナーは長く日本に住んでいるアメリカの方なんですよ」と続けた。「もしかして」と思い、朝会った犬を連れた夫人のことを言うと「その人です」とのこと。余りの偶然に両理事とも驚き、かつ私は、水辺の景色の価値を判る人がアメリカ人であったことに何とも言えない遅れを取った気分を味わったのである。